2017年10月30日月曜日

プラハ歴史地区(Praha,Prague) ⑫ チェコ

スメタナやドボルザークを生み、モーツァルトに愛された音楽の街で、現在は5月9月には国際音楽祭が催される人口120万の都市です。街を流れるブルタバ川を挟んで街が分かれている。プラハは約1000年の歴史を持つ「百塔の街」と言われるほど様々な時代の宮殿や教会が多い、西にはプラハ城、聖ヒートス大聖堂など、1402年にできた最古のアーチ型石橋「カレル橋」はその欄簡に30野聖人の銅像があり日本でも知名度の高い
フランンシスコ・ザビエルもある。ボヘミアの王カレル一世は1345年神聖ローマ帝国の
皇帝になり、首都をプラハに移し、都市開発整備を進め「黄金のプラハ」と呼ばれる代表的な都市に発展させた。その後オーストリー・ハンガリー帝国などを経て、第一次大戦後チェコスロバキア共和国に1993年に分離してチョコになった。
 カレル橋の東には旧市街の歴史地区があり、ゴシック建築の尖塔「ティーン教会」、キリストの12使徒の仕掛けのある「天文時計」、旧市庁舎などロマネスク様式からの様々な建築様式の建物が魅力の一つである。
                     カレル橋中央の聖ヤン・ネネポムツキー像

食事はブリュームたっぷりの肉料理、特に豚料理やハム、ソーセイジが多く、ピルゼン発祥のビール(ピルスナータイプ=日本のビールのタイプ)に良く会う。

2017年5月13日土曜日

キンデルダイクとエルスハウトの風車群(オランダ)⑪


オランダはnederland(低い土地)と言われ国土の約1/4は海抜マイナスであります。そこで
土地を有効活用するために出したのが水を汲み上げて海に流すというやり方です。そのために
大小多くの運河が発達しました。平野部では主に牧畜や農地の干拓には風車が発達しました。
ロッテルダムの南東にあるキンデルダイクは今でも19の風車が見られる田園風景で知られてます。木製の風車は風向きを見てその方向に向け、帆を張ります。内部には歯車があり、これで水を汲み上げて上の水路の汲み上げるのです。その力を利用して、石臼で小麦粉を挽くことも行われ、大きな風車では「風車守」と言って家族でこの中に住んで守っている人もいます。
これからの季節、オランダ名物の自転車でちょっとサイクリング気分で足を延ばしてみるのも
いいですよー・・・

2017年4月5日水曜日

アムステルダムのシングル運河の内、17世紀の環状運河地区

運河と赤れんがの美しい街アムステルダムはヨーロッパ有数の長江ライン川の下流の支流の一つであるアムステル川の堤防(ダム)に由来します。最も古い地区の運河はヨーロッパ各都市を結ぶ鉄道の中央駅をまるで扇の軸として半円状に広がってます。 アムステル川はこの環状に165運河に作られて、駅裏のアイ湾に注ぐ。 17世紀には北ヨーロッパ大陸の交易の中心として栄え、今でも多くの豪商の館が残っています。
 中央駅は1889年に立てられたネオ・ルネッサンス様式で日本の東京駅はこれをモデルにしたと
いわれます。 この扇状の最古の地区は多くの美術館や博物館があり、最も密度の高い観光ゾーンであります。
 駅前をまっすぐ行くと大きなダム広場に出ます。戦没者慰霊の塔は待ち合わせ場所のシンボルであり、正面に王宮があります。すぐ近くの1400年に立てられた新教会は国王の即位式が行われることで知られてます。そこから大通りの一本西に歩行者専用の小径がカルファー通りでアムステルダムの象徴ダイヤモンドの店や高級店が並んでおります。1km足らずの小径を抜けるとムントタワーに出ます。ここは元貨幣の鋳造の場所です。反対側の運河沿いにはチューリップやバラなどの花市場が続きます。
    さらに大きなシンゲル運河沿いにはライクスミュージアム(国立博物館)がありオランダを代表するレンブラントの「夜警」やフェルメールなどは必見です。 そのほか、「アンネの日記」で知られるアンネ・フランクの家は85mの塔を持つ西教会を目安にすると近くです。
 現在の光景として船を改造したボートハウスならニコラス・ウィツェンカード、オランダ市のハイネケン・ビールの工場見学で一息入れるのもいいです。ちょうど手ごろな大きさの街を観光するなら
ボートツアーと便利な路面電車(トラム)がお勧めです。
  食べ物は名物の新ニシン(ハーリング)のオニオン添えには早いが、ブローチェというバンズサンドはオランダを代表するファストフードです。 スマークレイク・イーテン(ボナプティ)

2016年12月14日水曜日

ユングフラウヨッホとアレッチ・ビーチ・ホルン ⑨ suisse

訪問世界遺産

ヨーロッパ最高峰ユングフラウヨッホ(4158m)は高所恐怖症でなければ一度は行って見てみたい、いわゆるてっぺんです。インターラーケンからグリンデルワルド、そしてクライネ・シャデック駅で乗り換える。この乗換駅からは有名なアイガー(3970m)の北壁、メンヒ(4099m)が(天気が良ければ)目の前に広がる。鉄道はトンネルが多いが終点のユングフラウヨッホ駅もトンネルのなかです。ここはTop of Europeと呼ばれるヨーロッパで最も標高の高い駅です。エレベーターでスフィンクス展望台に出ると4158mのユングフラウヨッホは目の前、反対側には最長のアレッチ氷河の雄大な姿が見渡せる。
夏は特に観光客が多く混雑するが手前ではスキーができる。宿はないがレストランはきちんとしている。写真は最初の時にスキーをしてみたものですが、数年前にはこのレストランでワインを飲みすぎて、高山病?かふらふらになってしまった。

2016年10月29日土曜日

ラヴォーのぶどう畑 ⑧ スイス

訪問世界遺産

スイスには1972年来7,8回訪れている。西部のフランス語圏にはレマン湖がある。名峰マッターホルンに源をもつローヌ川はこの湖の東から入り西に出て、フランスへと流れ、最後にマルセイユ近くで地中海に流れ出る長江で知られる。観光立国スイスは物価が高いのが気になるがどこでも満足できる。ジュネーヴはシンボルの湖面から100mに立ち上る噴水(jet d'eau)のほかショッピングはもとより、ホテル、レストランのレベルも高い。周辺にはぶどう畑やワイナリーもある。ブルゴーニュに近いせいもあり、シャルドネ、ピノ・ノワールなども作られている。
 レマン湖の北側一帯は斜面でぶどう畑が広がっている。スイスワインといえば白の「シャスラ」が有名で赤は「ピノ・ノワール」となる。ローザンヌまではなだらかな傾斜で女性的な優しいワインとなる。
ローザンヌの街は私のようなホテルマンにとっては夢の頂点の感がある。ここには言わずと知れた
世界最高のホテル学校「エコール・オテリエ・ド・ローザンヌ(Ecole hoterie de Lausanne)がある。その東は斜面が急こう配になり、上は林で覆われ、ブルゴーニュやドイツのラインガウのように北風や霜よけ対策が取られている。道路や鉄道は殆ど水際に近い。ここがラヴォーと言われる地区でスイス最高峰のシャスラを産する。辛口でミネラルに富み若くして飲めて、熟成にも耐える。機会を作って湖で取れる「Perch」と呼ばれる白身の小魚のフライを味わってほしい。またはチーズを溶かしてポテトと食べる「ラクレット」も白で味わう。知られたワインはヴィレット(Villette)、エペッス(Epesses)、デザレ(Dezaley)、カラマン(Calamin)、サン・サフォラン(St-Saphorin)など。天気のいい日に対岸のフランスアルプスを望みながら至福の時を過ごしてください。


2016年9月24日土曜日

ランスのノートルダム大聖堂 ⑦-②

訪問世界遺産

エコール・ド・パリを代表する世界に知られる画家藤田嗣治は1886年軍医の次男として東京にうまれ、幼くして母を亡くしました。その後東京美術学校(現芸大)に入り、24歳のとき卒業写生旅行
で千葉の房州に行き、そこで寄宿舎の舎監をしていた鴇田登美子と知り合い、1912年、26歳で結婚しました。1939年単身パリに渡り、同じ派の仲間ユトリロ、モディリアーニ、シャガールなどと極めて自由な生活の中藤田の名は世界に知られていきました。
 日本人にとって知っておきたい転機は戦後1950年代に最も親密で彼を支えていたシャンパンメーカー・GHマムのレネ・ラルー社長との出会いであります。彼は様々なアドバイスをし、1955年には
フランス国籍を、さらに73才の1959にはフランス歴代の王の戴冠式で有名なランスの大聖堂(カテドラル)で最後の夫人君代さんと共にカトリックの洗礼の教父を引き受けました。その時いただいたクリスチャンネーム「レオナール」が以降。レーナール・フジタと名乗るきっかけとなりました。その際に彼は「聖母子像」を献上しております。
 フジタは小さな教会の建設を相談し、ルネ・ラルーはマム社の敷地の一角を提供しました。
子の小さな教会の一切の装飾を自ら設計し、完成させましたが、窓のない薄暗い内部での泊まり込んでのフレスコ画の製作は年老いた彼には大きな負担でもありました。
 1966年に完成後体調を崩した彼はその2年後1968年1月29日スイス・チューリッヒの病院で昇天しました。82才でした。2月3日には洗礼を受けたランスの大聖堂で盛大は葬儀が行われ、7日には
自らが製作した教会に埋葬されました。教会は「シャペル・フジタ」としてランス市に寄贈され、今では見学が可能です。フレスコ画の群衆の中にルネ・ラルーと藤田自身が描かれています。


2016年8月17日水曜日

ランスのノートルダム大聖堂、サンレミ旧大修道院と宮殿 ⑦

訪問世界遺産


ランス40年行き来る故郷のような身近
街のほぼ中央にどんと構えているのがノートルダム大聖堂(カテドラル)である。
その創建は401年と古いが、その後1211年から約100年をかけて再建された
ゴシック建築の代表的なものである。
 歴史的には496年にフランク王国初代の王クロヴィスが政治的とはいえ
ローマ・カトリックに改宗し洗礼を授け、その後816年のルイ1世から1825年の
シャルル10世までフランス歴代の王の戴冠式をしたことで知られる。
特に1429年ジャンヌ・ダルクによるシャルル7世のものが有名である。戴冠式は
塗油式とも言われ「神の超人的な力を国王に与える」とされる。
 建物には2300体以上の諸王の彫像がたっているが、入口左の「微笑みの
天使」(写真)や内部のステンドグラスは見逃すことができない。最奥の3枚は
改装されてマルク・シャガールによるシャンパンの製法が描かれている。
 建物右に隣接する「トー宮殿」は元大司教の公邸でカテドラルの宝物殿と
して見学できる。
  さらに南に少し行ったところにサン・レミ聖堂と元修道院がある。ここには
クロヴィスに洗礼を授けた司教サン・レミの遺体が安置されており、これから
Reimsの街の由来ともいわれる。修道院は博物館となっている。
フランスもカトリックもこのランスから始まった感がとれる。