2016年2月23日火曜日

② アヴィニヨン歴史地区

訪問済世界遺産
②アヴィニヨン歴史地区法王庁宮殿司教関連建物群アヴィニヨン橋(1995)
  ローマ法王庁が極めて政治的にフランスに強制移転した時期がある。1309年である。それまでもフランス出の法王が即位したことはあるが、それから70年間7人のフランス出の法王が続いた。
極めて窓の少ない法王庁と流れるローヌ大河にかかり今は半分しか現存していないアヴィニヨン橋は歌でも有名で時間をかけてみることをお勧めするほか、ヨハネス22世が法王の時に建てた
新しい離宮とぶどう畑は今や「シャトーヌフ・デュ・パープ」という名前で現存する。白と赤があり
中でも13種のぶどうを使うことが認められている赤はフルボディで長期熟成に耐え、ワインファンも
多い。畑はその昔スイスのマッターホルンの源を発するローヌ川の下流洲で丸く削られた石がゴロゴロしている。


2016年2月5日金曜日

① バチカン市国(1980登録)

訪問済世界遺産
   ローマの町の中にある皇居よりも小さな土地は聖ペテロの墓所と言われ8世紀から19世紀まで法王庁拡大された後様々な歴史を経て1929年にイタリアから離れたれっきとした国。キリスト教カトリックの総本山として現在は第266代のフランシスコ法王が即位されている。
 教徒だけにとどまらず世界から多くの観光客が来ていつでも長い列をなす。この大理石の中に
 自分を置くことで教徒ならずとも正義に基づく平和提唱を心に止めることに意義がある。
 帰る前に向かって左に居る衛兵はスイスからの派兵である。

観光って

最近、大勢の中国からの観光客が来てます。爆買いとかマナーが悪いなど色々不評な面が取りだたされています。でも似たような現象は日本でも昭和30年代に同じような時期があったのではないでしょうか?沖縄が返還されて、500ドルまでという制限があったにしろ海外旅行ができるようになり団体で出かけて腹巻から現ナマを出して振る舞っていたのが思い出されます。そうゆう意味で
今受け入れ側も少し寛容になってもいいと思います(個人的には)。
 さて、アベノミクスの地方創生でどこでも観光資源の見直しを迫られるところです。
日本人の旅行でいえばその形はseeからdoに変化しbeに変わってきて大分なります。そんなことを考えるために今まで周ってきた世界遺産からまずヨーロッパの40~50を気ままに書き下ろして
見たいと考えてます。